「そんなにあなたは機械になりたいの?」今求められている “集中力” の正体とは【大竹稽】
大竹稽「脱力の哲学」2
東大理三に入学するも現代医学に疑問に抱き退学、文転し再び東大に入る。東大大学院博士課程退学後はフランス思想を研究しながら、禅の実践を始め、現在「てらてつ(お寺で哲学する)」を主宰する異色の哲学者・大竹稽氏。深く迷い、紆余曲折しながら生きることを全肯定する氏が、現代人に求められている集中力の正体とは何かを語る。真の集中とは「センス・オブ・ワンダー」にあり。
◾️ 「立ち上げ速度」「集中の深さ」「集中の持続時間」の怪
「世界と触れ合いながら集中する」。
これがわたしたち人間本来の集中のありようです。
それなのに、集中とは、「脇目も振るな! 寝食も忘れろ!」のような指導がまかり通っています。そして、相変わらず、集中を機械的なポイント制にしてしまう愚かさ。
「立ち上げ速度」「集中の深さ」「集中の持続時間」など、好例でしょう。
え? 「早ければ勝ち」ですか? 「ブレなければ勝ち」「持続すれば勝ち」ですか? スピード、安定度、持続時間のような「数値化」されるもので集中を競っていたら、いずれ人間は機械によって駆逐されるでしょう。繰り返しますが、「処理速度」や「生産量」だけで優劣を図るような「機械的な仕事」は機械に任せて、そろそろわたしたちは、人間的な、健やかで自由な集中に切り替えましょう。
わたしたちの集中は、「好奇心」や「関心」に導かれるものです。そこに付随する様々な要素はあると思いますが、集中の基礎には「好奇心」「関心」を置きましょう。
「そんな悠長なことは言っていられない」ですって?
むしろ事態は逆です。悠長なことが言っていられるような環境「も」作ってしまうのです。
これまでの延長で、「処理速度」「生産量」が求められる現場もあるでしょう。それ以外に、わたしたち人間本来の、「世界との触れ合い」を許してくれる、悠長なスケジュールや環境を、意図的に工夫するのです。その工夫がないままでは、わたしたちのすべての役割は、機械によって奪われてしまうでしょう。
いささかくどくなりました。もう繰り返しません。
集中を「触れ合い」という視点から、もう一度、捉え直してみましょう。きっとあなたも、「世界はワンダフル」であることが実感されるでしょう。
少々、不安や危険を感じるほうが、人間の感覚は鋭くなるのです。人工的に安全が確保されている場所は、安全の替わりに感動や驚きを失っているのです。そんな場所は、退屈極まりないですよね。
身体と世界の触れ合い。この触れ合いを感じながら集中を楽しむ。これが集中の新しいフェーズです。
「センス・オブ・ワンダー」という言葉を聞いたことがありますか? レイチェル・カーソンの本、その名も『センス・オブ・ワンダー』に由来します。レイチェルはアメリカの海洋生物学者。『潮風の下で』や『海辺』などのベストセラーを生んだ作家でもあります。さらに、『沈黙の春』では環境破壊の実態を報告しました。
彼女が描写する「センス・オブ・ワンダー」の世界を通して、「世界との触れ合い」を存分に感じることができるでしょう。この本は、世界と身体への慈しみで満たされています。